最近、日記を書き忘れることが多くて困る。
こんにちは三月です。
数日まとめて書いたりしてるので、もはや日記と言っていいのかすらわからぬ。
チラシ漫画「八塚一伝説」ネーム練ってます。
マルマンのルーズリーフが、万年筆でもにじまないことがわかって、今回試しにそれで線画作ってみようかと思います。いい絵ができればいいのですが。
それはそれとして。
非常に後悔しております。
どうして伏線張っておかなかったんだろう。設定は前からあったのになー。
ずーっと「話を作る」ということがどういうことか、わかってなかったんだ、と、ようやく思い至りました。
いや違うか、わかってると思ってたことが、実は全然違ってたんだと思います。
昔、コミックワークショップで「読者にギフトを与えること」って話をしてて、そのころの自分は、ギフトをあげることができてると、どっかで思ってたんだよね。読んでもらえてたし。でも実際はできてなかった。
すっかり自信を無くして、ずっと「人が楽しむもの」って何だかわからなくなって、色々見聞きしても自分のやってることと何が違うのかわからなくて、ただ「描かずにいられないもの」を描いてたりして。
ずいぶん無駄な道をたどってしまった。
たぶん、自分に必要だったのは「純粋かつ具体的なテクニックのアドバイス」だったんだと思う。ふわっとした抽象的指摘・熱意や感情どうこうなアドバイスは私に向いてない。
今描いてる「八塚一伝説」で言うと「この展開にする前に○○のエピソードを加えておくと、後々に「ゆくゆくは◎◎の☆☆にさせる」という設定と○○の関係に驚きを加えることができるのでは。○○が必要になりそうな、関連性の高いエピソードに展開をつけてみよう。⑦の後喧嘩になって…(略)…とか、もしくは⑨の時に一悶着起こして○○に誘導するという方法もあるけど、どう?」→(ネーム作り直し)→「うん、こっちにしたら、そのときに征五郎も出せるし⑫は別のエピソードにすることも可能になるし、ドラマチックにもなるね、もう一つなんかエピソードある?」→(エピソード作る)…みたいなやつ。
こういう流れを自分の脳内でできれば、よかったんだろうと思う。実際は、そういう発想すらなかったわけだけど。
昔、父が、狩谷さん旧シリーズ・アガツマ先生初登場回を読んだときに「いつもはただ話を並べてるだけのような感じだけど、今回は情念のようなものが出てて面白い」的な感想をくれたことがあって、その時は「情念…? 確かに今作とても恥ずかしい…何かが出てるからなのか…」って、そっちが気になったんだけど(それはそれで、後々の狩谷さんシリーズや幽玄さんのその後シリーズに影響を与えてはいると思うのですが)、あの時に「ただ話を並べてるだけのような」の方に注目してればよかったんだなあ、と今更のように思う。
たぶん、今回のコミティア発行分を読んだ、熱心な八塚一読者(実在するかどうかはわかりませんが…)は「唐突だな! 苦し紛れの設定だろこれ!」と感じると思います。実際、苦し紛れではあると思います。考えてた物語の世界をうまく組み立てられていなかった、そのツケが今ものすごく来てるので。
最大、年4回の更新なんだから、もっとじっくり取り組めばよかったと思う。
もう終わりが近いころになって、今頃になって、気が付くとは。
残念だし、キャラクターや読者の方々に申し訳ない。
そんな感じではありますが、今からでも、もう少し、どうにか頑張りますので、おつきあいいただけましたら幸いです。